追伸


 徐々に仄暗くなってゆく部屋の中。ビデオとオーディオデッキの窓に燈る光の数字が、まるでこの夕刻の街灯りのように、次第に輝きを増してくる。イヴの夕暮れ。まもなく訪れる夜を独りで過ごすことにこれほど寂しさを感じるのは、きっと誰かと一緒に楽しく過ごした記憶があるからだろう。女はそう感じていた。遠い街で働く彼からは先週電話があった。年末には帰るけれど、イヴには間に合いそうもないから、と。
 仕事が片付かないから、と彼が続けた時、女は何も言えなかった。以前にも同じ台詞を、電話向こうの彼から聞かされたような、そんな気がしていた。あれは何時だったろう。そう、夏のことだった。世間が盆休みを迎えても、そう言って彼は帰ってこなかった。そうして結局、春に彼がこの街を離れてから、ふたりは一度も顔を合わせる事がなかったのだ。
 窓辺へ向かいカーテンを閉ざす。引いたカーテンの襞が、窓際のサイドボードに置かれていた鉢植を掠め、葉先を揺らした。この鉢植がここにきてからも、ちょうど一年になる。すぐに枯れてしまうかと思っていたが、日々の水遣りだけでも弱ることなく、鉢から溢れんばかりの葉を今も大きく拡げている。
 ふてぶてしい奴め。女はそう呟き、葉の一枚を指で弾いた。今はただ緑色の葉を拡げているだけだが、昨年のこの日。訪れた彼と共にやってきた時の鉢植は、花弁のような紅い葉を大きく咲かせたポインセチアだった。だが、時と共にその燃えるような紅色の葉は数を減らしてゆき、彼が旅立った春の盛りまでには、全て散り落ちてしまっていた。燃え尽きたポインセチア。捨てようかとも考えたが、それは出来なかった。とはいえ、きちんと手入れして育てるつもりにもなれなかった。その紅色を再び燃え上がらせる術も、女は知らなかった。そうして、せめて枯らせはしないようにと、水遣りだけは欠かさずに続けていたのだった。
 ソファーに腰を沈め、時計を見る。彼はまだ仕事中だろうか。充電台に置かれていた携帯電話を手に取り、メールくらいは送っておこうかと指を動かす。連日電話をかけあうことはとっくになくなっていたが、メールでのやり取りだけは欠かさずに続けていた。ただ、今日この夜、彼に伝えるべき特別な言葉も、女の内から湧き上ってはこなかった。ありきたりとも思える言葉ばかりを幾つか並べ、そのまま送信してしまおうとする。だが、送信確認の画面が表示されたところでその指が止まった。女は確認画面を取り消す。そうして、先ほど打った文の最後に追伸を添えた。 『 P.S.ポインセチア、まだ元気だよ』と。
 しかし、そう打ち終えたところで再び女の指は止まった。この鉢植にあの燃えるような紅色の燈る時が、またいつかは訪れるのだろうか。いや、それよりもこの鉢植自体のことを、彼はまだ憶えているのだろうか。


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